「いつか棺おけ入る時、僕は――」。芸人の間寛平さん(74)は、幕引きの日を想像する年代にさしかかっています。振り返ると、上り坂に下り坂、まさか。紆余(うよ)曲折の「みっつ」の坂をめぐります。
間寛平さんの「みっつ」
①舟木一夫「高校三年生」(日本コロムビア)②忌野清志郎も応援した地球一周③アホの坂田
鈍行の旅立ち
《18歳のある日、大阪から鈍行で上京する。東京・鶯谷に着き、坂を下ると――。日本の人口が1億人を突破した1960年代、街は活気にあふれていた》
集団就職の時代やった。
娯楽は映画、パチンコ、野球くらい。歌手なら舟木一夫、三田明、西郷輝彦とか。「高校三年生」は青春の歌やな。
僕は大阪を離れて転々としてん。浦和(埼玉)の駅前の「ブルーバード」、鶯谷に日暮里、坂下りて左に「スター東京」があった。
キャバレーですわ。ボーイの仕事をしました。
歌手が来るんちゃうかと思って。かばん持ちでもやれたら、僕もいつかはって。
「柳ケ瀬ブルース」の美川憲一を探して、3日間柳ケ瀬におったこともありましたわ。ドヤ街の西成(大阪)もそうでしたけど、当時200円か300円あったら素泊まりできたんです。
《柳ケ瀬を歌う美川憲一は柳ケ瀬にいなかった。あきらめて大阪に帰る。万博(70年)を待つ街でトラック運転手になる》
万博でガンガン工事してて、運転手足らんかったんよ。その後もタイル屋で丁稚(でっち)奉公したり。住之江の競艇場の客乗せてピューッでボロもうけできてん。
ある日運転中にぶつけられてな。角の民家の便所に飛び込んでん。たまたまオバンが用足してて、オバンびっくりするわ、僕は入院するわ。
でもそれで今の業界に入れてん。
「動く棺おけ」と呼ばれ
見舞いに来た友達の紹介がきっかけで、ある劇場に放り込まれて。
ジャンジャン横丁が有名な新世界の温泉劇場。
エエエーッですよ。
運良くお笑いの道に飛び込んだものの、興行は修羅の世界。甘い蜜ばかりではなく、借金地獄、裏切り、絶望。追い込まれた寛平さんはある日、フェリーから……。「寛平はあかん。飛ぶで、逃げるで」。陰口をたたかれた時代、信用できるのは自分の「足」だけでした。ヨットとマラソンで地球一周を駆け抜ける羽目になった男の、まさかの逆転人生。マイナスからの起死回生の裏には、いろんな縁がありました。忌野清志郎さん、坂田利夫さん、そして――。
女の人が裸で、(幕あいに)…